院長ブログ

2006年10月のブログ記事

31OCT

幻のトライ

2006年10月31日

「セピア色」の話ですーーー
ALL TDC v.s. シンガポールクリケットクラブ戦。
敵陣10m付近での左オープンでの相手ボールのラインアウトだった。
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こぼれたボールが最後尾にたっていた私の目の前に転がってきた。すかさず拾って走った。
スタンドオフひとりをかわすとアタックラインをひいていた敵の無防備なライン裏はガラ空き。無人の芝の先に白いゴールラインがみえ、歓声が耳に届いた。しかし、右からブラインドサイドウイングが追ってくるのが視界にはいった。「ダメだ、走りきれない、、、」。そこへフォローしてきた味方の現役学生スタンドオフの声が背後から聞こえた「右〜!!」。私が大事なボールをパスしたら相手タックラーは目標を変えた。
ワンツーですぐにリターンパスをくれれば、思いっきり飛び込んでダイビングトライだ。私は必死で叫んだ「返せ〜〜〜〜〜!!!」。だが捕まりながらのリターンパスは一瞬遅く、私の手にボールが渡ったときスローフォワードのホイッスルが鳴った。
「バ〜ロ〜〜!早く返さんかい!!」そしてノーサイド
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20年たったいまでもあのシーンを夢にみることがある。

31OCT

シンガポール遠征

2006年10月31日

1986昭和61年ですから卒後3年めだったでしょうか。
わが東歯ラグビー部創部20周年記念事業の一環としてシンガポール遠征を行いました。現役チーム、OBチーム、そして現役OB含めた選抜チームによる3試合を行いました。その模様が掲載されたラグビーマガジンです。
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訪ねた「シンガポールクリケットクラブ」は創立100年以上の超名門クラブ。足首まで埋まるような芝のグラウンドはボールが転がりでたら国会議事堂の前というすごいロケーションです。メンバーは大半がイギリス人。人種差別は厳然と存在し、やはり「ラグビーは紳士のスポーツ」なのです。フィフティーンのうち10人がシンガポールのナショナルチームメンバー。前回闘ったチームはかの神戸製鋼(!)だというではありませんか。
我々は現役10人にOB5人のの選抜チーム「ALL TDC」を編成し、私もそのメンバーにいれてもらうことができました。当時勤務医だった私は、診療後毎日猛特訓を自らに課してフィットネスは現役時代以上の最高の仕上がり。私はOBながら観光ではなくあくまでも「試合」に行ったのでした。

25OCT

歯肉退縮と回復

2006年10月25日

歯肉退縮はいくつかの要因が考えられ、その解決策もひとつではないかもいれません。
症例は30代女性。'02 初診左下23部の知覚過敏が主訴でした。
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この症例の歯肉退縮の原因は、プラークが残る一方で歯磨きによる傷が原因と考えました。もう少し柔らかくかつ確実にプラークをとることができれば退縮した歯肉は回復が充分期待できることをお話して、歯ブラシと歯磨き圧の指導をしました。
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遊離歯肉移植その他外科処置等は一切行っていませんが、フェストゥーンが角化歯肉となり付着歯肉の幅が増えました。

22OCT

歯の外傷

2006年10月22日

外傷の患者さんを拝見するたびに脳裏に蘇るシーンがあります。
ラグビーの試合中、私と衝突した相手チーム背番号1が歯をぶつけて右上1を脱臼してしまいました。私は相手キャプテンに「ゲームに邪魔だから早く退場させろ」といいました。するとその選手がむっとして「(退場しなくても)できます!」といいその歯をパンツのポケット(当時ポケットつきパンツが流行った)にいれてスクラムに戻ったのです。私は敵ながら「おう、Nice Fightだ!」声をかけました。試合中のことなのでお互いエキサイトしていましたが、でもよく考えてみると恐ろしいことです。すぐ整復すれば生着したはずなのに、、、。
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 あれから20数年、歯科オタクのはしくれになっているいま目撃したならラグビーの試合なんかすぐ止めさせるに決まっていますが、当時は歯よりも大事なものがあったのでしょう。今頃彼の前歯は、、、。

20OCT

根未完成歯完全脱臼後12年経過

2006年10月20日

小学校5年生男児。転倒して右上中切歯を脱臼し急患で来院 
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整復後、ツイストワイヤー&スーパーボンドで固定
生着を確認し約一ヶ月後から根管治療開始した。
根未完成歯のためビタペックスによる暫間充填で根尖の閉鎖を待つ
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Apexificationによる根尖完全閉鎖を確認してガッタパーチャ根充95 6の.jpg

受傷から12年経過し無事に機能している。根充剤が溶出したようだが、根尖は硬組織による閉鎖がなされていると思われる。
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20OCT

フォーラム聴衆の感想

2006年10月20日

市の担当者が送ってくれました。
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プレゼンテーションは見てもらってナンボのものですから、耳目を集められれば成功といえます。まずまずでした。

17OCT

ラグビーマガジン

2006年10月17日

昭和57年(古い話です)。菅平での夏合宿で名古屋からきたある大学と練習マッチを行いました。スコアは忘れましたが圧勝でした。試合後、相手チームの老監督がこちらにやってきて「歯医者さんの大学だっていうからどうせたいしたことはないだろうとタカをくくっていたらあまりに強くて驚きました。練習にもならなかったでしょう?申し訳ない。あんなに走ってボールを繋げるチーム、どんな練習されているのですか?」といわれました。
 ちょうどそのとき傍らにベースボールマガジン社の記者がいて黙ってそれをきいていました。そんなことから依頼があって書いたものです。
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そしてこの後、公約どおり真の「黄金時代の復活」を遂げたのです。

数年後、創部20周年記念シンガポール遠征をした後、オール東歯の試合の模様も掲載されたのですが、残念なことに掲載誌を紛失してしまいました。お持ちのOB(もしくはOG)ありませんか?もしあればぜひ私のところまでご一報お願いします!

15OCT

6抜歯後8を移植 10年後

2006年10月15日

左下6骨縁下カリエス。エクストルージョンを経て保存できなくもないものの、より健全歯質が多く歯根膜の多い8を移植することにした。'95 5
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抜歯後粘膜の治癒を待ち2ヶ月後移植。
ドナーとソケットの適合は悪い。
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自然挺出を待ち、CEJが骨縁上であること確認して補綴  '96 2
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移植後10年経過しました。 '06 9
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隣在歯のシェード不具合はご愛嬌

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デンタルxp上で歯根周囲を取り囲む白い線、歯槽硬線が明瞭で歯根膜の再生がうかがえます。その一方、近心根の近心に位置していた固有歯槽骨は未だ消失してはいないようです

11OCT

OG(over girls)

2006年10月11日

我々東歯ラグビー部は年間合宿日数が100日以上に及ぶため、一年の1/3はともに寝食することになります。
その間食事の準備は衛生士校1、2年生からなるマネージャー嬢たちによるものでした。他にも自分でプレーをするもっと楽しげなクラブがいくらでもありそうなものなのに、なぜこんな大変なラグビー部のマネージャーなんかするんだろうと当時不思議に思っていました。2〜3人の若い女の子の手だけで20〜30人もの食事の用意をするのはさぞかし大変だったでしょう。
 今回のOB会にはMさんがいろいろ根回しをしてくれたおかげで、私の学年前後の多くのOGが加わり華を添えさらに大盛り上がりしました。
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これまで平穏無事に20数年過ごしてきたひともいれば波瀾万丈だったひともいるに違いないのですが、「昔ギャル」も20数年も経つと、、、、なんて無礼な心配とはうらはらに皆外見は当時とあまり変わらないように見えて、それが不思議にさえ思えました。みんなご覧のとおりとっても素敵なお姉さん(!?)たちばかり!!
 「○○ちゃん、当時、元祖巨○だったよな!」なんて酔っ払い中年オヤジどものセクハラ発言連発も柳に風と受け流す肝っ玉の大きさ。いいね〜!
それにKFさんが私と同じく格闘技オタクなのにはうれしくなりました。
 そういえばOGのなかの2人から「うちの娘が高校生になり、私の知らないうちにラグビー部のマネージャーになってたの。なんだかなあ」なんて話もききました。部員と同じく娘もやはりお母さんをみて育つのでしょうか。
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終始大笑いが絶えない全員ハイテンションのなか、昔どうしたのこうしたのというどうでもいい話が朝方まで続いたのでした。
あ〜〜楽しかった!!やっぱ東歯ラグビー部最高!!大好きっ!!

10OCT

2世部員

2006年10月10日

N先生。口外大学院生当時、我々部員が鬼と恐れる先輩コーチだった。土曜の夕方、厳しい練習も終盤ポプラ並木に夕焼けが落ちはじめるころにようやく現れ、それから猛特訓が課せられた。ゴールラインを境にFW数名ずつボール争奪戦(ほとんどケンカ)、負けると100mダッシュの罰。それが延々続いた。そんななかからゴールラインを目にしたときの緊迫感や闘争心が叩き込まれ、根性練習が奏功して走って闘う小型FWが鍛え上げられた。

そのN先生がマイクを握って「私は二人の息子たちに小さい頃からラグビーを教えてきた。そして今、こいつらが後輩部員として一緒に今日のゲームを語る。こんな幸せなことはない!」
自慢する父、はにかむ息子。実にいい光景でした。
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10OCT

創部40周年記念OB会

2006年10月10日

東歯大ラグビー部創部40周年記念OB会に100名程度参集しました。
みんな現在は各地の歯科医院院長のみならずいろんな分野で活躍しています。日本歯科医師会理事、県歯担当理事や専務、市歯科医師会会長、国立大学医学部教授、大学同窓会担当理事、セミナー講師、全国レベルでの研究会コアメンバー、インプラントセンター主宰、いくつもの事業を幅広く展開している事業家etc. 皆尊敬するべき先輩後輩たちです。
学生時代特に優秀だったとかまじめに勉強していた者は(多分)いませんが、情熱を傾けるフィールドがグラウンドからそれ以外に転じたにすぎないと思えば何も不思議ではないようにも思えてきます。
「あのときお前がゴール前でボールを落としたから負けたんだ」
「それにしてもあのときはすんごいタックルだったよなあ」
「あいつは血の気が多すぎるので俺がキックする前『オフサイドに気をつけろ』とだけ言ったんだ」etc.
40代50代60代のおじさんたちがお互いに相手をみるなり学生時代にタイムスリップして童心にかえり、20年も30年も前のことをつい昨日のゲームのように語る様は実に楽しいものでした。
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この先10年後20年後その先もお互い生きている限り同じように昔の思いで話で盛り上がるのでしょう。
とても幸せなことです。

10OCT

ラグビーこそが青春だ!

2006年10月10日

「私は6年間ラグビーに完全燃焼できた自分をほこりに思い自分に対する自信の裏付けとして生涯の財産としている。もう一度男に生まれることができたなら、魂が一番熱い時にぜひまたラグビーをやりたい」
〜東歯大ラグビー部35年記念誌拙文より

私の生涯最後のラグビー公式戦は2ヶ月後の目前に歯科医師国家試験を控えた1984 12.29 オールデンタル決勝の舞台でした。
調べたひとによれば最後のシーズン公式戦の総得点累計183点、総失点累計6だったそうです。ほんとに強かったでしょう!?(←かなり自慢!!)
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あれからもう22年。久しぶりに現役学生の公式戦関東医歯薬リーグを観戦しました。ラインアウトにリフティングがあるなど我々の頃とはルールが少し変わったこと、ラグビーのジャージといえば引っ張っても破れないように厚手のごついものときまっていたのに最近は薄手の生地で半袖にと様変わりしました。でも昔と変わらぬスクールカラーのジャージをまとった若者たちがボールを追う姿には感慨深いものがあります。男の子たちはこうして鍛えられてゆくのです。
 ここ北陸の冬は天候が悪いと相場がきまっていて「ウインタースポーツの華」ラグビーは馴染みにくいことや、昨今の世界レベル全国レベルでのサッカー人気に加えて我が子がサッカー小僧になってしまったことから、ラグビーにふれる機会はほとんど無くなっていました。でもボールを持って突進してくる相手に躊躇なくタックルにはいる様は今見ても心が熱くなるし、バックスのラインは生き物のようにもみえて流れるパスワークは美しい。やはり我々元ラガーメンにとってラグビーのかっこ良さは格別なのです。
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かといって今ここ↑に加勢してボールを奪いに行けといわれても少し尻込みしますが、、、。歳とった。

09OCT

市民健康フォーラム

2006年10月09日

会場ほぼ満席250名の方々に来場いただきました。歯科医やスタッフ対象の講演会ではあり得ない大人数、ありがたいことです。そのなかに当院に通院しておられる患者さん数人が含まれていました。聞きつけて来られたとのこと。私たちのコンセプトを充分に理解し確認していただくのに絶好の機会でした。
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とても立派な垂れ幕もご用意いただいたのですが、スクリーンが下げっぱなしになったために写真でお見せできないのが残念。
プレゼンテーションには工夫を凝らしましたので「つかみはOK」。反響は大きく、とても多くの質問もいただきました。一般市民に口腔内に関心の高い人は多く、いろいろ悩みや疑問もお持ちなのだなあとわかりました。また講演後、実行委員長である医師会会長先生からも「口腔内の細菌はあんなになっていて実に多くの疾病に関連しているんですね〜」といううれしい感想もいただきました。内科医は何でもとっくにご存知なのだろうと勝手に想像していましたが、いろいろな他職種の方たちも含めまだまだ口腔内のケアや歯科の疾患についてアピールし啓蒙する余地もありそうです。
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06OCT

「武士道」

2006年10月06日

American Dentistryと日本の歯科医療、アメリカ人歯科医と日本人歯科医の間でどうしてこうも歯牙の保存と抜歯の基準が違うのだろう?
よくいわれる経済性、予知性と訴訟社会、健康保険制度の違いの故なのか。
そんな疑問を解決してくれるヒントが2冊にちりばめられていました。
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歯科医の考え方というよりも両国国民の心の奥底に歴史によって育まれ根付いた国民性だと思われます。
ゴールドラッシュを求めて海をわたって上陸して合衆国を築き、有色人種は「安い労働力としての商品」でしかなかったアメリカ人にとって、純粋に「お金」を追い求めてAmerican Dream を成し遂げることはわかりやすい目標だったし「強いアメリカ」において将来的にもぶれることはない正義なのです。
近い将来、世界的に歯科の目が「予防」に向いてもアメリカだけはおおかわりしないのではないでしょうか。 
 かたや私たち日本人には「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」に鑑みてしまう心根があるのです。これら武士道の精神は、明文化された教本があるわけではないのですが、なにかにつけて子供の頃から教え込まれて私たちの身にしみついた教えといえます。「商人道」とは異なるので「武士は喰わねど高楊枝」だったり「二言はない」ことにもなります。

 どちらがいいか悪いかでもなく、歯科医のサイドのみならず患者さんサイドも同じ考え方なのですから、それでいいのでしょう。
でも自分が患者さんだとしたらどうでしょう?私だったらどちらの治療を選択したいかはっきりしています。自分がAmerican Dentistry を直輸入したような歯科臨床やそんなグループに、言葉では説明できない違和感をおぼえなじめない訳がやっと理解できました。
 でもその一方で和魂洋才。考え方は別チャンネルとして、よりよい技術や材料をいち早くいただいてきて適応症によって使い分けることができるなら、これは金棒(かなぼう)、鬼手仏心でしょうか。

「離れたところの違う考え方を通して自らの足許を見つめ直す」目的の一部は今回のアメリカ行でかなったようです。
「武士道」。日本が世界に誇れる名著です。難しい本ではありませんので、みなさんぜひご一読のほど。

01OCT

「ホワイトニング歯磨き」その後

2006年10月01日

「あれ〜、僕の歯が白くなった〜!」「何?どれどれ見せてみろ、、、、ほんとだ、確かに白くなっている!」
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眼で見てわかるくらい漂白効果が現れています。以前は黄色っぽい歯でした。お土産に買ってきたスパーダーマンの絵が書いてある歯磨剤と、Oral-B REMBRANT というものを半々に使っていたんだそうです。2種類のうちいずれの効果なのかは不明ですが、こんなことなら使用前にシェードガイドを写し込んだ規格写真を撮っておくんだった、、、。

その後、自分の歯に興味が増して熱心に鏡を覗いている姿がみられるようになりました。
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歯が白いか黄色いかということよりも、そんなことから自分の歯に関心が高くなるのだとしたらそれは副次的ながらとてもよい効果です。これってもしかしたら患者さんの心理にも共通することかもしれない。「ホワイトニングを利用した通院したくなる医院作り」なんていうフレーズはちゃんちゃらおかしい私は美容師ではない、と思っていましたが、あながちそうでもないかも一理あるのかもしれないなあなどと考え直しました。

そういえば以前試してみて効果の高かったホームホワイトニング剤もR社でした。
日本に売られている歯磨剤にもホワイトニングを謳ったものが多いですが、あまり効果はみられないとのこと。薬剤の効能として日本製がアメリカ製に劣るはずはない(と思いたい)ので、きっとアメリカ製は漂白剤の含有量が多いのでしょう。

01OCT

Silent Auction

2006年10月01日

こわは初めてみたシステム。メーカー各社の提供で商品や講習会の名称がいくつか掲示してあり、それに競争入札して高価な商品を激安に買えるチャンスがあるわけです。
私は3i Ossix $500分に最高値で入札してきました。会場が閉まる直前でしたので次の入札者はなく多分落札したはずです。後日電話がかかってくることになっていますが帰国後1w経った今日現在まだ音沙汰ありません。事情通の話では「いいかげんな国なので1ヶ月も経ってから急に電話があるのでは?」とのことです。どうなることやら。
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