院長ブログ

2008年6月のブログ記事

29JUN

日米Cure~Care2

2008年06月29日

Lさんは日本にいるときは数か月に一度PMTCを自ら希望して来院されます。
そういえば最近顔見ていないなあと思っていたらアメリカに帰られていたそうでBrooklynの歯科医からレントゲンのコピーを持たされてきました。レントゲン撮影しなくていいよ、という主治医の配慮なのでしょうか、それとも礼儀なのでしょうか。
リンダデジタル.jpg
アメリカの歯科医もデジタル化したようです。やはり18枚は規格なのでしょう。

29JUN

垂直性骨欠損の治療

2008年06月29日

「クリーニングだけ」から数ヶ月後、問題の左下6の疼痛を主訴に再来院しました。
ほうれ、だから言ったでしょ、もう猶予はありません。それではいきますよ~。
上は初診(USA)、下は治療後(Takaoka JAPAN)。
リンダさん前後.jpg
近心根周囲の骨欠損が改善、骨梁像の変化です。

29JUN

日米Cure~Care

2008年06月29日

Lさんは日米を往復しているアメリカ人で2004年に歯のクリーニングを希望で来院されました。
アメリカの主治医からもたされたレントゲンです。
USAxp.jpg
18枚法とでもいうのでしょうか。マウントシートが存在するのでアメリカのスタンダードなのかもしれませんが、必要なところはみえない割には無駄なショットが多い。そこで正しい10枚法です。
リンダJ.jpg
問題は左下6の根分岐部病変。出血排膿pd9mmLindheの分類3度です。
アメリカ歯周病専門医がオペをして補綴専門医のクラウンだそうですが、このままでは抜歯も近い?

26JUN

たかが8番されど8番

2008年06月26日

ことの起こりはこの症例です。
1985年叢生の治療を主訴に寺田矯正歯科医院を受診した当時9歳。
矯正治療が終わり保定にはいってから智歯周辺に問題が生じてきました。
たかが8番1.jpg
その後当院~公立病院歯科口腔外科~当院と今年で23年の長期経過です。
患者さんはもう30歳代。
たかが2.jpg
この症例の記録を眺めながら治療期間が長期にわたる矯正科には規格写真であるセファロやパントモが一般の歯科医院には考えられないほどあることを知りました。そして廃棄寸前だったそんなパントモには宝の山が隠されていることが解ったのです。
智歯は実に奥が深いのです。

24JUN

「第3大臼歯を考察する」日本歯科評論'08年7月号

2008年06月24日

わが高岡市歯科医師会学術部は外来講師選定に自信があります。上部組織からの下請け仕事がないため全て想いのままですから。強いていえば「担当理事独断がほとんど」が欠点かもしれません。
でも講演会主催だけではありきたりなので会員参加のカンファレンスものの企画を重ねてきました。
県会報.jpg
県会報2.jpg
(県歯会報’03 11月号 ’04年1月号 より.このあと「高岡口腔臨床カンファレンス」と名称変更しました)
歯科開業医にもいろいろな価値観をもつひとがいて方向性はひとつではなく、われわれのスタディーグループ活動とはやや趣が異なります。その一方で別の視点からの症例の見方は新鮮です。なかでも、口腔外科、矯正と他科との共通項がある智歯の話題「たかが8番されど8番」シリーズはとても有意義でした。
 さてこのたびそのシリーズ企画の内容の一部を、『信越地区の3大学歯学部矯正科教授を後輩にもつ北信越の矯正の第一人者』寺田康子先生が日本歯科評論2008年7月号に書いてくださいました。
寺田康子先生記事.jpg
寺田先生入魂の一作、発売間近!歯科医なら必見です。
http://www.terada-ortho.jp/

23JUN

富山空港着陸不能

2008年06月23日

今年になってからすでに数回上京しましたがいつも学会やら研究会やらに直行のみ。でも今回は前夜に余裕があったのでチョイワルオヤジらに東京ナイトを付き合ってもらいました。
東京ナイト.jpg
この後の弾けっぷりは掲載を自粛しますが2:30まで大騒ぎ。あ~楽しかった。でも何食わぬ顔して朝から学会を終えて羽田空港からの最終便へ。ところが乗るはずの機体にアクシデントがあったとかで50分遅れで離陸しました。さらに「現地(富山)は濃い霧と雲でシカイ(視界)が悪く着陸できないかもしれません」と何度もアナウンスがあるのです。機内に歯科医(シカイ)が4人乗っていました。
「着陸態勢に入りました」というので前方スクリーンをみていたら滑走路が見えるのに断念して上昇、、、それを数回繰り返しました。その挙句「10時を過ぎて富山市から空港使用許可が下りず、、、」とのことでせっかく富山上空まできたのに羽田にUターンとなりました。羽田空港着が11時半。「仕事があるのにどうしてくれるんだ!」と空港職員にくってかかっているパキスタン人がいましたが、そんなこといってても仕方がない。1.運賃の払い戻し 2.翌朝6:50発 3.8:40発 の3択。近場のホテル一覧を渡され,たどり着いたビジネスホテルの時計は1時を過ぎていました。
宿泊施設.jpg
朝5時半に起床し羽田へ。富山上空はまだガスってるからとまたもや上空でうろうろしているのです。でも今度は3度目に無事着陸しました。やれやれ。高速道をぶっ飛ばして診療室に滑り込んだのが8:50分。朝一の患者さんになんとか間に合いました。
それにしても命あってのモノダネ。今日一日眠いけど「着陸に失敗して墜落、歯科開業医の葬儀は、、、」とならなかったのだからまあよかった、としよう。
さあて今週も気合いれていくぞ。

18JUN

ヒヤリハット!

2008年06月18日

親知らずを抜歯の予約。麻酔後数秒ですんなり抜けて止血を待っていました。しばらくたって患者さんの様子がおかしい、、、。ベテランスタッフが異変に気づきモニターと酸素吸入器が迅速にセットされました。
血圧93/49 脈拍52 SPO2 100.
モニター&O2.jpg
ほどなく回復されましたが、生体監視モニターによって血圧脈拍SPO2がリアルタイムに表示されることで患者さんの状態が具体的に把握できその安心感といったらありません。おかげで術者もスタッフもパニックになることなく落ち着いて対処できました。やれやれ。
落ち着きを取り戻した患者さんいわく「実は夜勤明けでほとんど寝ていなかった、、、」だとか。なあんだ、それならそうと早く言ってよ~。
それにしてもどこに落とし穴がぽっかり空いているかわからないごく日常の歯科臨床。
モニタリングなしにはもはや考えられません。

15JUN

剪定

2008年06月15日

朝4:00に集合するもの北東の風で出漁は断念。WSFでOn Shore Wave、、、も考えましたが、少し前から茂りすぎが気になっていた医院の庭木の剪定作業を試みることにしました。専任の庭師(父)亡き後、伸び放題となってしまい、スペースからあふれんばかりなのです。
植木.jpg
業者に頼めばいいことですが、ものは試しでDIY。うまくいかなければ全部取り替えでも構わない、と思えば気は楽です。剪定鋏でサクサク斬るのは簡単ながら、枝葉の間に古い葉っぱや笹の葉が絡まって密生していることが問題で、これは軍手をはめた手で掻きだすのが確実なことがすぐわかりました。ところがふと気付くと足元は枯葉の山!
ゴミ袋.jpg
45lの高岡市指定ゴミ袋に詰め込むと4袋満杯。ふ〜疲れた。でも汗をかいたおかげでこんなにすっきり。
南天植樹.jpg
ついでに空いたスペースには父の日にちなんで父が生前育てていた南天を植樹してみました。うまく根付けばお正月には紅白の実がつくはず。予後の見込みは不明です。

14JUN

雑草刈り

2008年06月14日

農業でもない父が生前仕事のように毎朝行っていた畑は、朝日が登る日本海を見下ろす結構いいロケーションにあります。
畑仕事を手伝ったことは一度もありませんでしたが、毎年季節の野菜が採れたてで食べられました。今頃ならウド、アスパラ、茄、トマト等。ザルいっぱいの枝豆を左手に右手はビールをぐびぐび〜っと。
耕すひとがいなくなり雑草が伸び放題となってよろしくないと近隣から苦情が出るためたまに草刈りが必要です。昨年秋にひとしきり刈って除草剤を散布したというのに、今日みると膝丈くらいの雑草が一面に。仕方がないのでまた刈ることにしました。
畑.jpg
草刈り器のエンジン音を響かせながら「創る歓び、壊す愉しみ。育てる歓び、刈り取る愉しみ」なんてフレーズを考えながら雑草を根元から刈るのに2時間かかりました。ほっとしているところへ近所の老人が現れ「あんた息子さんかい?」とひとしきり亡き父の思いで話。そして「除草剤を撒くならこの刈り取った草を集めてからにしないと地面にゆき渡らんよ」と親切にも熊手をもってきてくださいました。てことはまたこれからまたやれってか?、、、仕方があるまい。一時間後にはかき集めた草の山が畑のあちこちに点在することになりました。
草刈り.jpg

ここで「海のみえるセカンドハウス」建設地をお探しの方に耳より情報です!
『「ブログをみたよ」と言ってくださればお安くお貸しします。』

12JUN

認定衛生士

2008年06月12日

DH吉村の認定証が届きました。
ケースプレの際にpcトラブルがあったとのことでやきもきしましたがよかった!やれやれ。
吉村認定証.jpg
これで当院歯科衛生士4人全員が取得しました。
4人認定証.jpg
「日本歯周病学会認定歯科衛生士」は現在富山県下に10人。これがそのまま歯科衛生士としての実力を表わすものでもないでしょうが、「励み」になることは間違いありません。

08JUN

山郷からの便り

2008年06月08日

Hさんが恒例のちまきを届けてくれました。
ちまき.jpg
もちを笹の葉で包んだものですが、祖母から母へ、母から娘へH家に代々伝わる季節の年中行事のひとつなのです。餅米作り、収穫、独特の形状のだんごつくり。笹の葉採取、そしてちまき製作と全て手作り100%天然素材。もう老母の手はなくとも嫁いだ娘と孫娘、そして姪っ子の3人で、長男次男が採取してきた笹の葉をきれいに水洗いしたうえ一つ一つ丁寧にくるんだひどく手間のかかる仕事です。どこぞの「グルメ」に広めればいくらでも高く売れそうなものですが、これは売り物ではなくすべて友人知人知り合いに無償で進呈されるのです。「もったいなくて売るなどできません」とのこと、そりゃあそうでしょう。ひとつのもちを5枚の笹で包む、こんなきれいな数百個の作品。お金儲けのためならひどく単調で辛い仕事に間違いありませんが、「季節の喜び」として静かに継承されているのです。今年もありがたくいただきました。

キスはまだあまり釣れないようですが今日もカレイは入れ食いでした。でも先週の干物も昆布〆もまだ食べきれていないことだし必要以上に持ち帰ってもひんしゅくをかうだけなので10数匹だけ釣ってやめました。一番大きいものだけ刺身に、残りは背開きして塩水に浸けたあと干物ネットへ。
カレイの干物ネット.jpg
でもどうみてもちまきのきれいな仕事にはとてもとてもとても及びません。

05JUN

孔雀(くじゃく)の卵

2008年06月05日

レアな卵を試食してみない?と誘われました。孔雀を飼育しているYさんが「今日,産んでいるはずだから」とのこと。オスは昨年死んだのでどうせ孵ることはない無精卵だから産んだらとってきて食べるのだそうです。
孔雀.jpg
私としてはすこしおっかなびっくりながら他では絶対に食べることはできないものだからと思い、ありがたくいただいてきました。
孔雀の卵.jpg
鶏の卵よりふた周りくらい大きい孔雀の卵。殻は非常に厚くて固く鶏卵と同じ感覚では割れません。
家人に見つかったらドン引きされるにきまっているから、とこっそり割っていたら焦って黄身を崩してしまい残念。黄色が濃くてドロッとしている。これを食べてからいつもより血の気が多くなったような気がしました。

01JUN

カレイ大爆釣!

2008年06月01日

つい呑み過ぎてしまい午前様にも関わらず、約束どおり朝4時半の出漁です。
朝イチ、アジ釣りには苦戦したもののカレイのポイントに替えると状況は一転。投入し着底すると即アタリがあり水深110mの海底はすべてカレイが張り付いているのではないかと思えるほどほんとの「入れ食い」なのです。1尾2尾でリールを巻き上げるのはもったいない、と数釣り競争。Yさんなど10本針中8尾を一度にかかるほど未曾有の大爆釣大会となりました。
数釣り.jpg
そんなに釣ってもしかたがないことは重々承知ながら「釣れるときには貪欲に釣っておこう!」と。終わってみたらふたりでなんと110尾!の釣果でクーラーボックス3個が満杯。もちろん自己ベスト。あ〜楽しかった。
カレイ大爆釣.jpg
刺身、唐揚げ、一夜干し、煮付け。捌くにもお裾分けの相手捜しにも随分苦労しました。

01JUN

奥田克爾教授退任講演会祝賀会

2008年06月01日

奥田克爾教授.jpg
富山県から東京歯科大学へ進んだ者全てがこよなく慕う奥田教授の退任祝賀会講演会でした。「トーキョーシカ、ドーソードーソー」を最も苦手とする私でさえも奥田先生だけは別格なのです。
県下からこれだけのドーソーの参加があった講演会は記憶にない、ひとえに奥田先生の人徳というほかありません。祝賀会でも奥田先生の富山弁丸出しにつられて大いに盛り上がったのでした。
 ただ奥田先生には「まきのといえばラグビー」のイメージで停止していたのは少しだけ残念。ラグビー熱中時代はとっくの昔に過ぎ去って、この20数年間私なりに少しは進化しているのですが、、、。これは私の不徳のいたすところなのでししょう。

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