院長ブログ

2008年8月のブログ記事

31AUG

してやったり!!

2008年08月31日

朝一便はもったいないくらいのガラガラ。飯田橋の日本歯科大学へ行ったのは初めてでした。
「PCのトラブルでプレゼン不能」という事態だけはなんとしても避けたいと思い、いつものI-viewMediaPro.以外にPowerPoint版、USB、CD、さらに最悪の事態に備えてプリント、とこれでもかのバックアップ。飯田橋へ向かう電車のなかで今回私の推薦者になってくださった審査員のT先生とばったりあったのは幸先よい朝でした。
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会場へは一番乗りでしたが受験者一覧をみてびっくり、なんと大学同級のTKさんの名前があるではないか。ほどなく同じく同級の旦那を伴って現れたのでした(顔出しNGにつき控え室で撮った写真の掲載は自粛です)。23名の受験者のなかで私と彼女だけ開業医、他は全員各大学歯周病科の先生たちでした。
暗い小さな部屋で受験者ひとりにふたりの審査員、ケースプレ15分質疑応答5分。原稿なしで全てアドリブ、時間ぴったりになるよう調整しながら話しました。
試験の結果?
講評として「(まきの)先生の卓越した歯科臨床の知識と高い技術力に脱帽します」と言われました。結果発表をみるまでもない、こんな完璧な勝ち方は初めて。

30AUG

専門医試験

2008年08月30日

大学卒直後は自分はこの先何をどう学べばいいのかなんて何もわからなかったものだからすぐ臨床の現場にでてしまったのでした。そしてその後、職歴研究歴がない自分のことを生涯取り返せない失策だったと悔やんでいました。でもある日、ある著名な先生が私にささやいてくれました。「我々に肩書きが必要とも思わないが、講演をきいてる聴衆のなかには『認定医、専門医ももたないひとの話なんか信用しない』なんて古い輩もいる。症例ならたくさん持ってるんでしょう?ぜひ専門医取得の手続きをしたらいい」私は大学に残らなければ受験資格もないものと勝手に思っていたのです。その後数年間じっと我慢の準備を経て(そんな大げさなことでもないか)、ようやく明日の最終ケースプレゼンテーションを残すのみ。
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自信作の準備は万端。それに「口頭試問にメッチャ弱かった」のは過去の私(笑)!
(PCのトラブルさえなければ)「この秋の第一関門通過」の勝利予告しておこう。

27AUG

日本歯周病学会臨床研修会事前抄録集が完成しました。

2008年08月27日

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プログラム
開会式(9:40)
大会長挨拶             高岡市歯科医師会会長   岩崎 弘治 
後援者挨拶             高岡市長            橘 慶一郎
臨床研修委員会委員長挨拶  岩手医科大学大学院教授  國松 和司

臨床特別講演(10:00~12:00)
「歯周再生治療の実際」エムドゲイン®、多血小板血漿、細胞・骨膜シート

新潟大学大学院医歯学総合研究科摂食環境制御学講座 歯周診断・再建学分野 教授    吉江 弘正
 座長:高岡市歯科医師会会長  岩崎 弘治  
        休憩(12:00~13:00)

認定歯科衛生士教育シンポジウム(13:00~15:00)
「ルートプレーレーニングの可能性」 
 座長:日本大学歯学部保存学教室歯周病学講座  伊藤 公一
講演1(13:00~14:00)「患者さんへのダメージが少ないルートプレーニング」
 谷口歯科医院歯科衛生士(長野県長野市開業) 山岸 貴美恵
講演2(14:00~14:10)「ルートプレーニング後のレントゲン像の変化」
 やまざき歯科医院歯科衛生士(富山県射水市開業) 田中 典子
講演3(14:10~14:20 「ルートプレーニングのみで臨んだ重度歯周炎症例」
 かわかみ歯科医院歯科 衛生士(富山県氷見市開業)  山口 瞳
講演4(14:20~14:30)「垂直性骨欠損へのルートプレーニング 15年の予後」
 まきの歯科医院歯科衛生士(富山県高岡市開業)  畔川 澄枝
討論会(14:30~15:00)
        休憩(15:00~15:30)

特別講演(15:30~17:00)
「再生医療の新展開 -乳歯幹細胞の有用性」
名古屋大学大学院医学系研究科頭頚部感覚器外科学講座教授  上田 実
  座長:まきの歯科医院院長  牧野 明

閉会式(17:00)
閉会の辞 松本歯科大学歯科保存学第一講座 教授    吉成 伸夫

25AUG

ルートプレーニングの開始時期

2008年08月25日

患者さんのブラッシングが定着すると歯肉の浮腫が消褪して乾いたように見えるときがあります。歯肉が治りたがっていなときなのです。
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このときを逃さず「(縁上縁下をわけず)1歯1回で」「麻酔はせず」確実にルートプレーニングをするのです。その後病的移動していた「67の歯間離開が閉鎖しました。
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その間のレントゲンです。骨梁像にも変化がみられます。
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23AUG

大ホールに暗雲?

2008年08月23日

「市民の啓蒙」もいいのですが、「治せてこそ(歯)医者。プロフェッションとしての知識とスキルアップが最優先」と考えるので、今回のP学会研修会にはぜひ多くの歯科医師歯科衛生士に参加してほしいところです。日本P学会臨床研修会の会場を下見してきました。
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担当職員らの融通が利かない杓子定規な態度には辟易するものの、それとは対照的に高岡市歯科医師会学術部最初で最後(たぶん)の大イベントにふさわしい素晴らしい大ホールです。
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あわててアップルストアに電話しVGA端子を購入したのでした。
またしてもMacユーザーへの逆風なのでしょうか。自信満々で臨むはずの専門医試験が来週に迫っています。リンゴマークを使うケースプレゼンテーションが急に心配になってきました。当日になってプロジェクターに接続できない、なんてことになったらどうしよう。窓達バージョンも作っていかなければならないのだろうか、、、。

21AUG

重度歯周治療後のフェストゥーン

2008年08月21日

重度歯周病の治療です。
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その間のデンタルX-P
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10年の経過のなかでフェストゥーンが育ち付着歯肉に変化しつつあります。
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17AUG

鶏丸焼きBBQ

2008年08月17日

お盆休み最後は中学生たちを連れてクワガタ獲りキャンプを目論んでいました。なのにまたしてもあわや床下浸水かとの勢いの急な豪雨でテント泊どころではなくなったのです。みんな「雨くらい大したことない。キャンプに行きた〜い!」とは言うものの、、、。食材も仕入れてあることだし、てなわけで「うちの車庫でBBQするぞ」。
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鶏丸焼き、ダシスープでラーメン。自家製ソーセージとスモーク。あ〜あ、美味かった。
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遊び貯めしました。この秋の4連戦に向けて歯科オタクモードに頭を切り替え。

16AUG

ピカソ展:高岡市美術館

2008年08月16日

20世紀前半の西洋美術をリードしたピカソ(1881~1973)
陶芸約80点、油彩版画約70点もが高岡に集められていることは驚きです。
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ある著名芸術家から教わったこと「『美術作品芸術作品をどうみたらいいのかがわからない』のは構わない。美術館に来ている人の大半は実は同じ。とにかく名作傑作といわれるものをみられる機会があれば身を置きじっと眺めればいい。何かを感じられる」
ピカソは絵画はもちろん美術のあらゆる分野を手がけ、その全てに傑作を残したのだそうです。いつぞやの「岡本太郎魯山人展」と同じやはり天才というのはそうしたものなのでしょう。音声ガイドで作品の見方が少しわかった。解説書も一晩熟読した。
せっかくの機会、会期中にもう一度行くつもり。

15AUG

「富山剱の会」ってんだから剱岳登山でしょう。

2008年08月15日

今回は若手メンバー4人のガイドに徹します。初日は実にのどかな山行でした。
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ところが午後から雲行き怪しくなり、二日目山頂アタックの頃には雨とガス。
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一歩滑れば谷底。でも余裕のパフォーマンス、Vサインです。
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山頂での視界は1m。私はこれまで10数回ここに立ったが、こんな悪天は珍しい。
はるか富士山までの眺望は次回に持ち越しながら、達成感は残ります。
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山登りは歯科臨床に通じます。「地道な一歩一歩の積み重ね」なのです。

10AUG

新人デビュー

2008年08月10日

富山剱の会久々の新星イチロー先生。奥能登に生をうけ若くから金沢仙台そして小杉とエリート歯科医の王道をゆく今風イケメン若手歯科医(ちょっと褒め過ぎか?)!
ハチメ釣り全くの初めてながら、第一投で「きた〜!」と叫びこんな大物をヒットしてしまいました。
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無断借用したYさんの竿も大物に曲げられて本望でしょう。そしてその後も順調に釣果をあげたのでした。数は多くはないのに貴重な釣果は院長宅にと気遣う心配り。イマドキの若者も大したものだと感心しきりです。
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三国一(さんごくいち)の花嫁候補募集です。

09AUG

剱初登頂ヘリショット

2008年08月09日

初めて剱岳に登ったのは1994年の夏。同窓のM本さんらが剱岳に登る相談をしているのを耳にしたら自分も無性に行ってみたくなり「僕も連れてってください」「若い奴は海で遊んどれ」といわれてはなおさら行きたくなったのでした。リーダー以外は全くの初心者4名。
 山頂にたどりつき休んでいるとバリバリとヘリコプターの音。「これ今日のニュースに出るかもしれん!お~い、お~い」とみんな手を振っていましたが、私だけ「でも自分で見られるわけでもないし」なんて背中をむけて弁当を食べていました(白いTシャツ背中)。ところが帰宅して翌日「大変だ~!昨日の我々の姿が朝日新聞全国版一面トップに出ている~!!」と電話があったのです。
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(新聞にでた写真はサイズを指定してお金を払うとプリントしてもらえます。朝日新聞社の刻印、裏面には印鑑つきがホンモノの証)
「これは家宝!」と額縁いりサイズと2Lの2枚をお願いしました。実物はみんなの顔がみえます。
それにしても剱山頂に自分がいる状態でのヘリコプターショットなんてそう簡単に撮ってもらえるものではありません。どうして私だけ背中をむけていたのか、うう~ん残念無念!

08AUG

源次郎尾根

2008年08月08日

’04にもルートを間違えてしまったことを思い出しました。
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熊の岩にいくつかテントがみえる。この時点で向こう側にいなければならない。そこは源次郎尾根最終地点だったのでした。懸垂下降しているひとがみえます。
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源次郎尾根の南側(写真左)が長次郎谷、北側(写真右)が平蔵谷なのです。
このあとどんづまりになり蟹の横バイ縦バイなど比較にならないまさに断崖絶壁にたつことになったのでした。パニックにならぬよう、写真など撮り弁当を食べて、心落ち着かせてからすすみました。本当に怖かった、、、。
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06AUG

高岡市長室へ

2008年08月06日

橘慶一郎高岡市長を訪問してきました。9.14に日本歯周病学会と高岡市歯科医師会で共催する臨床研修会の開会式で挨拶いただく依頼です。当日はイベントが重なる大変忙しいスケジュールのなかですが、快諾いただきました。
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橘市長といえば祖父直治氏が参院議員、父康太郎氏が衆院議員にして前伏木海陸運送社長の超名門。おまけに高岡高校~東京大学~ケンブリッジ大学院卒。 高校で私の一年「後輩」というのはおこがましくも憚られる(?)スーパーエリートなのです。日本中の市長さんのなかで偏差値最高が確実です。でもそんなことはおくびにもださない丁寧な物腰、腰の低さ。伏木海陸運送社長の職を辞して市政にあたられるこんなすごい市長まで動員して準備は着々。総力をあげますよ~。

05AUG

剱岳空撮から

2008年08月05日

昨日,当ブログアクセスが過去最大数最長不倒をマークしました。
大半の読者は平蔵だの長次郎だのといってもなんのことやらさっぱりわからないでしょう。
良い写真をみつけました。
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          新版/空撮登山ガイド8 立山.剱.雲の平  山と渓谷社 に加筆
尾根を伝うピンクのラインが一般的な登山道「別山尾根」。赤のラインは予定していた長次郎雪渓。オレンジが今回辿った平蔵谷。立体ではないので写真では平蔵谷は長次郎谷より短いようにも見えますが、狭く斜度が強いのです。バリエーションルートとして紹介されているガイドブックもありませんから、間違えなければ私も生涯登る事はなかったでしょう。

山頂からみた長次郎谷。中央左▲の尾根が遠くからはゴジラの背びれのようにみえる八峰、右が源次郎尾根。剱らしい険しい姿です。
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平蔵のコルから見下ろす平蔵谷。ここを延々登ってきたわけ。
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剱山頂には一昨日ヘリで運ばれた新しいお社が除幕を待っていました。

04AUG

平蔵谷

2008年08月04日

私には目覚まし時計は不要で体内時計で何時にでも思ったとおりに起きられる。「夜明け前に出発」予定どおり3:30に眼が覚めた。ところがなんとヘッドライトが点かない。ええいクソ!仕方がない、ザックを整え靴ひもをきつく縛って待機。4:15ようやく空が白みはじめた。ではそろそろ行きますか。30分で沢につきアイゼンを付けてガシガシ歩いた。今日は調子がいい。きっと昨日のニンニクが効いているのだ。振り返ると抜きさってきた2パーティー(赤矢印)がかなたに小さくみえる。
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1時間で出合(注:沢と沢が交わるところ。「出会い」ではありません)についた。
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上を見上げて「ウッシャ〜ッ、行くぞ〜!!」声を出して自分に気合いを入れた。きっとラグビーのキックオフのときと全く同じ顔をしていたに違いない。黙々登ること1時間、目標が見えてきた。あれが佐伯さんが教えてくれた「熊の岩」だろう。
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右に巻いてからコルを目指すはずだ。でもかなりキツい、3歩進んで5歩休む。
もがくこともがくこと1時間、あれ!?あっけなく鞍部に出てしまったぞ!?それに長次郎雪渓には限られたエキスパートしかいないはずなのに、こんなにたくさん登山者がいるのは何故?ここはどこ??なんとそこはカニの縦バイのすぐした「平蔵のコル」だったのだ。
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参ったなあ、どうりでなんだか様子が違うと思っていた。
剱を目指す登山者たちからは「あんなところをひとりで登ってるひとがいる、すごいね〜ってみてたんだよ〜!!」とヤンヤの喝采。いえいえ、谷をひとつ間違えただけなのです。

03AUG

'08 雪渓登攀チャレンジ

2008年08月03日

日本海にあった低気圧から前線が伸びる予報だったので「久々にWSFでかっ飛べる」のではないかと期待しましたが、低気圧は北海道上空に去り、快晴の予報となりました。となれば行くしかないでしょう。午前中診療を済ませると、ラーメン屋でニンニクをどっさり入れて精力満々。立山ケーブルへ急ぎました。室堂着が3時40分。剱沢小屋へ急ぎ、貴重なシャワータイムに間に合いました。
 小屋のご主人佐伯友邦さんに長次郎雪渓の様子を尋ねると、紙の切れ端にスラスラとこんな手書きの地図を書いてくださいます。左は今回,右は'04のもの
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こんな地図を書きながら(多くは毎日のように自分の足と眼で確かめたであろう)現況や注意点を的確にアドバイスしてくれるのです。このリアルタイムな手書きの地図はとても貴重なのです。佐伯さんといえば「剱の大将」と称された名ガイド父文蔵さんから小屋を引き継いだそうですが、小柄でもの静かなたたずまいながら、日焼けした顔に刻まれたの深い皺からは幾多の遭難救助の修羅場が想像される、大きな人間力が垣間みられるひとなのです。朝3:30に出発するべく8:00に就寝しました。
(今日はここまで。この項,暫く連載です)

01AUG

長次郎雪渓登攀

2008年08月01日

剱岳へ登るバリエーションルート。宇治長次郎が柴崎芳太郎らを剱頂上へ案内したというのがこの雪渓なのです。私は北方稜線縦走の際に加え、’04 ’05の2回単独行をしました。
登り詰めて来し方を見下ろした光景です。
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中央右に小さく登ってくるひとの列がみえます。こうやって黙々と登るのです。
あちこちに大きなクレバスがぱっくり口を開けています。アイゼンとピッケルが必要です。雪渓の左端にみえるのが人影。人間の「小ささ」を実感。
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青空の向こうは剱山頂。困難を克服した後ほど達成感は大きいのです。
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さて今年は「もどり梅雨」とかで明後日は曇りのち雨の予報。行くなら明日午前診療終わったら立山駅へダッシュ、どうしよう、、、。

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