院長ブログ

2008年1月のブログ記事

31JAN

ココス島(グアム)

2008年01月31日

’95。県歯学術部の積み立て旅行でグアムへ行ったときのこと。
観光ツアーを抜け出しレンタカーを借りて一路ココスへ向かいました。
ココスWSF.jpg
ココスでのウインドサーフィンは『青い空。コンスタントに吹く暖かいサイドショアの風。沖で沈しても足が届く暖かいエメラルドグリーンの海』。
『鉛色の空。雪と砂が飛び交う強風。荒れ狂う怒濤の海』のハードコアな日本海と対局をなすウインドパラダイスなのです。私はロングボードでカッ飛びながら思った「これがマリンスポーツなのだ、寒さや恐怖心を我慢してやるもんなんかじゃあない(かもしれない)。」

飯島氏と.jpg
今は亡きプロウインドサーファー飯島夏樹氏(「天国で君に逢えたら」)。
現地人より黒くでかい男だった。
あんなに楽しいウインドサーフィンは今、世界レベルで流行らなくなってきたようです。なぜでしょう。日本人が大勢訪れていたあのウインドリゾートはいまごろどうなっているのでしょう。海や風は何も変わってはいないだろうに。

27JAN

真冬のWSF

2008年01月27日

北陸で強風が吹くのは西高東低の冬型の気圧配置のときです。
海は凍ることはないので海水は気温より低くはないのですが、顔や手足(裸足)の冷たさハンパでなく本当に凍りそうになります。雪のなか海から岸をみると雪が積もって真っ白になるのもみたっけ。沈(チン:海中に落ちる事)して波に巻かれたときにパニックにならないよう水泳用のゴーグルは必需品。怒濤に巻かれてボードが頭の上から落ちてくることもあるので黄色いヘルメットも必要でした。
怒濤.jpg
写真は'92頃のたしかクリスマスの日。風速15m〜20m、いわゆる「濡れた砂が飛ぶ」状態で眼も開けてられないハードコアな海でした。セールがなくてブームとマストに風をうけただけでも走れるのではないかと思えるほどのもの凄い強風に波まで押しつぶされ海面は真っ白です。それなのに出て行くのだからバカな話なのですが、沖で吹っ飛ばされセールごとパイルドライバーを食らった上洗濯機のなかでかき回されているようにぐるぐる巻きにされてしまいました。「死ぬ、、、、」と心底恐怖に震えました。ほうほうの態で命からがら、、、。
大自然にはいくらあがらっても勝てません。なめていると時にシメられます。
それでもなお海に向かうのはジャンプや波に乗れた時の気持ちよさが全てを上回るほど快感だからなのです。
ジャンプ.jpg
こちらは大晦日の日でした。一度でもこんなことができようものなら「全て捨てる、、、」決意ができます。
海から帰るとき対向車は皆スキーを積んでいました。対向車を運転していたひとたちはこちらをどうみていたのでしょうか。

25JAN

WSFグッズ

2008年01月25日

ウインドサーフィンの初期の快感は海面を疾走することです。
「プレーニング」とよばれます。ボードの下に空気層ができるのでしょう、自分とボードが一体になって風よりも早く無抵抗に空中を滑るような感じはとても快感です。これだけでも充分ヤミツキになります。
半プレ.jpg
でもそのうちそれだけでは飽き足らずもっと激しい刺激がほしくなってくるのです。
そのためにより強い風でかっ飛ばすスラロームボード、また波があるところでジャンプや波乗りをするウエイブボード、そして各々の風域に適応するエリアのセールとそれを張るためのブームその他リグが数限りなく必要になるのです。完全なプレーニングは「完プレ」、イマイチは「半プレ」。風力は適応セールのエリアで表現します。「昨日はヨンゴー(4.5平米のセール)の風で完プレ、サイコーだった。今日は6.0で半プレ?もうちょっと吹いてくれんかね〜」等の会話は一般人には通じないかも。
ボード&リグ.jpg
私も当時お金をいくらつぎ込んだかわかりませんが、限られた休日にたまたま吹いた風、、、でも適応する道具が足りないために乗れない、、、、そんな口惜しいことはないのです。それでハマってしまう。皆口々に「麻薬か覚醒剤みたい、、、」なんてため息をつき苦笑いしていました。そして風が吹くといろんなことを放り出して海に向かうのです。そんなかなりアブナい道楽なのです。
左は私が使っていたHi-Techのスラロームボード、右はジェリーロペスのウエイブボード(カスタムメイド)。そしてそれぞれのセイルやブーム等です。

15JAN

「歯科領域へのバーチャルリアリティーの応用」

2008年01月15日

「これ聞くだけでも参加の価値あり!」との前評判どおり本当に素晴らしいプレゼンテーションでした。
VR.jpg
左上はエジプトのミイラ。CT撮影をしそれをバーチャルリアリティーに映像化するのですが、ミイラには一切手も触れずに内部の様子を粘膜の下からでも骨のレベルでも後ろから前から上から下からその他あらゆる方向あらゆる深度から自分の思いのままに「眼で」みることができるのです。左下は立体模型として人体の解剖の学習に、右上は実際の患者さんで骨折の症例。つまり医学歯学領域での教育、治療計画、患者さんへの治療法にと限りない恩恵と変化をもたらすのです。歯科医としては右下のように根管系の複雑さを知ってしまうと自らの根管治療に絶望的になる恐れもあるかもしれませんが。
10年先には私たちのクリニックでも自分のパソコンで普通に扱えるようになるであろうとのことでした。
P.Brown.jpg
演者の Dr.W.Paul Brown :(Stanford Univ.)。とてもgentleですごい方でした。

14JAN

国際外傷歯学会

2008年01月14日

外傷歯学会2.jpg
外傷歯学会1.jpg
「国際」というだけあって46カ国から500名もの参加者。外傷歯学の父ともいわれるDr.J.Andreasenやここ数年わが高岡市歯科医師会で招聘してきた阪大の先生たちはじめ国内外の豪華演者によるハイレベルなプレゼンテーションが続々、エキサイティングな三日間でした。
今回の大会長である月星光博先生の余人にマネできない国際的なコネクション、またこれだけ大きな大会をほとんど一人の力でマネージメントされたと思われるうえ隅々まで気配りのなされた完璧な運営ぶりには驚かされました。内容詳細は後日レポートです。

09JAN

「錫杖」廣田暁(洋画)

2008年01月09日

錫杖.jpg
1907年(明治40年)国土地理院の前身である参謀本部陸地測量部の柴崎芳太郎測量官らが三角点設置のため地元の宇治長次郎らを伴ってに剱岳に登頂しました。人間が登るなどとんでもないと恐れられた剱岳にはこれが人類初登頂と思われていたのが、なんと山頂に平安時代のものと思われる錫杖(杖の柄につけた金具)が発見されたのだそうです。そんなミステリーロマンを題材にした洋画なのです。かれこれ10回以上登頂している私としては、現代のようにゴアテックスのレインウエアもペットボトルも登山靴も地図もコンパスも何もない平安時代、特にあの鎖場などどうやって登ったのだろうと不思議に思えます。

アルピニスト憧れの山ともいわれる剱岳。現在映画撮影も進められています。三角点設置100周年のこの夏、全くの初心者数名をお連れする計画中。他にももし剱岳初体験したい方おられましたらご一報ください。剱山頂で一緒に万歳三唱しようではありませんか。

05JAN

CT画像2

2008年01月05日

咬合性外傷(2007 12.27)でレポートした症例です。
左犬歯フィステル.jpg
原因歯が2なのか3なのか、また2のエンド病変にもみえます。でも何度EPTを試しても生活歯なのです。
そこでマイクロCTを撮ってみるとこのような画像が得ることができました。
CT2.jpg
犬歯近心頬側の骨欠損が大きいためデンタルXPでは側切歯にかかっているようにもみえますが、やはり原因歯は犬歯でしかありません。無用な抜髄をせずにすみました。

01JAN

そっくりさん

2008年01月01日

新しい年を迎えました。
大晦日のアクセス数過去最高を更新に気をよくして古い話を少し続けます。

25年前の夏。毎夏300チームものラグビーチームが集う菅平で強化合宿を行っていました。
その年たまたま同じ民宿で韓国の延世大学チームが宿泊していました。日本でいえば慶応義塾大学のようなステータスの大学ときいていましたが、あまり多くはない部員だしそうたいしたことはないだろう、よく日本まで合宿になんか来るよなあなんてタカをくくっていました。ところがこのチームが強い強い。練習試合をみていたらちょうど菅平にきていた早稲田、明治、日体大全ての1本目(一軍)に連戦連勝するのです!最後に土をつけたのが当時日本選手権連覇を続けていた新日鉄釜石のみだったのです。よくよくきいてみるとオール韓国を何人も擁する超強豪、強いはずだ、、、。我々の延世大学に対する態度が急に変り、ある者はキックを教わりある者はスクラムの姿勢をみてもらったりとなりました。スタンドオフはスパイクを脱ぎ裸足で両サイドのタッチライン上からバンバンゴールキックをいれて見せてくれました。ジャストミートしたらこんなんだよ、と。これには驚きました。

その中のひとり「ブン ニンテイ」という名前の学生と私の顔が似ていると誰かが言い出しました。しかも奇しくも私と同じ背番号7、右フランカー。これは面白いから一緒に写真撮れ、と。
ぶんにんてい.jpg
これから試合に向かうというのにみんなで「ホントに似てる」なんて白い歯を見せて笑っています。身長はこちらが低いが胸や太腿の充実はやや優勢かな。でも穏やかに笑っていた彼はこの後のゲームが始まるやテロリストに豹変しもの凄いタックルを相手にバシバシきめまくっていたのでした。

このページの先頭へ戻る